バンコクの朝は、湿った空気とともに目覚める。時刻は6時30分。まるで体内時計がタイ時間に馴染んでしまったかのように、息子は自然と目を開いた。

「おはよう、起きたね。」

 妻が微笑みながら声をかける。ベッドの上で小さな体を伸ばし、眠そうにまばたきを繰り返す息子の頬をそっと撫でた。私たちもゆっくりと起き上がり、今日の旅に思いを馳せる。

「アユタヤ、楽しみね。」

 妻が言う。

「うん。でもその前に朝ごはんだな。」

 息子の食事問題が少し気がかりだった。タイ料理は香辛料が強く、小さな子どもには難しいものが多い。初日からいくつか試してみたが、どうにも息子の口には合わなかったらしい。唯一確実に食べてくれるのはフライドポテト。そこで、今朝もホテルの近くにあるバーガーキングへ向かうことにした。

「またポテトばっかりになっちゃうわね。」

「仕方ないさ。食べないよりはマシだろ。」

 息子は嬉しそうにポテトをつまみ、ケチャップを指につけて遊び始めた。旅行中の食事の悩みは尽きないが、今は楽しい旅を優先しよう。

 朝食を終えた私たちは、Grabを利用して駅へ向かう。アユタヤ行きの列車に乗るため、バンコク駅へ。8時10分、駅に到着。切符を買うために並んでいると、窓口の係員がパスポートの提示を求めてきた。

「隣町に行くだけなのに、パスポートがいるとは思わなかったな。」

「ほんとね。持ち歩いててよかった。」

 無事にチケットを手にし、8時45分発の列車に乗り込む。しかし、期待していたエアコン付き車両ではなく、風が頼りの車両だった。

「またエアコンなし…か。」

「まあ、風が入れば平気よ。」

 妻は前向きだが、息子はむっとした顔で私の膝の上に座る。狭い車内、大人4人が向かい合わせに座ると、ほとんど身動きが取れない。

「暑いね。」

「駅を出れば風が入るから、それまでの辛抱だ。」

 しばらくすると列車が動き出し、窓から涼しい風が流れ込んできた。息子も少しずつ機嫌を取り戻し、景色を指さしては何かを呟く。

「ほら、牛がいる。」

「ほんとだね。タイの田舎の風景もいいものだな。」

 バンコクから1時間ほどでアユタヤに到着。駅から街の中心へ渡し船で移動し、レンタル自転車の店を探す。英語はほとんど使わずとも、店員が手慣れた様子でチャイルドシート付きの自転車を用意してくれた。

「これなら大丈夫そうね。」

「座り心地はどうだ?」

 息子はチャイルドシートにちょこんと座り、満更でもなさそうな表情を浮かべている。

「じゃあ、行こうか。」

 Googleマップを頼りに、遺跡群へ向かう。アユタヤにはいくつもの遺跡が点在しているが、時間の都合で全てを回ることはできない。まずはワット・プラ・シー・サンペートへ。

「すごいね…。」

 妻が感嘆の声を漏らす。崩れかけた仏塔が並ぶ光景は、時代の流れを物語っている。息子は石段の上を興味津々に見つめ、小さな手を伸ばして触れようとした。

「触ってもいい?」と言いたそうだ。

「うーん、あまり触らないほうがいいかな。」

 歴史ある遺跡の前では、自然と背筋が伸びる。次に向かったのはワット・マハータート。かの有名な仏頭が木の根に埋もれている場所だ。

「写真撮ろうか。」

「うん。でも仏像の頭より上に立たないようにしないとね。」

 タイでは仏像に対する敬意が重要だ。地元の人々に失礼のないように慎重に写真を撮る。

 その後もいくつかの遺跡を巡ったが、やはり印象に残るのはこの二つだった。遺跡巡りを終えた頃には、そろそろランチの時間。

「象に乗れるところ、近いわよ。」

 妻が地図を確認しながら言う。予定通り、エレファントライドにも挑戦することにした。

「思ったよりも大きいぞ!」

 息子は大きな象を目の前にして興奮気味。象の背中に乗ると、ゆっくりとした揺れが心地よい。

「まるで王様みたいだな。」

「ほんとね。」

 息子は楽しそうに笑い、私たちもその笑顔を見て満足する。アユタヤ観光は大成功だった。

 夕方、再びエアコンなしの列車でバンコクへ戻る。心地よい疲れが体に残り、息子は私の腕の中で静かに眠り始めた。

「明日はどこ行くの?」

「明日はサファリワールドでトラと写真を撮るぞ。」

 異国の風を感じながら、明日への期待を胸に、列車はゆっくりとバンコクへと進んでいった。